1950-02-03 第7回国会 参議院 厚生委員会 第7号
決議 仏教社会事業の振興を期することは平和日本建設の基本と思料せられるから本日会同した我等工同は「日本仏教社会事業連盟」(仮称)を結成して積極的に仏教社会事業の進展を図り以て文化日本の興隆に資せんことを期する。 尚之が具体的準備は参議院関係者によりて進められんことを望む。
決議 仏教社会事業の振興を期することは平和日本建設の基本と思料せられるから本日会同した我等工同は「日本仏教社会事業連盟」(仮称)を結成して積極的に仏教社会事業の進展を図り以て文化日本の興隆に資せんことを期する。 尚之が具体的準備は参議院関係者によりて進められんことを望む。
愛兒の家につきましては、昨年の六月下旬か七月の上旬と思いますが、初めて我々の方に仏立宗の社会事業連盟の方がお出でになりまして、そのときに全貌が初めて分りましたようなわけです。それまではその経緯については殆んどはつきりしなかつたわけであります。
田辺某のごときは、キリスト教社会事業連盟分室主事という名をキリスト教団体は與えて置きながら、一向に監督というようなことはいたしておりません。更に売却処分の顛末等につきましても幾多の疑問があります。
尚御質問のキリスト教社会事業連盟分室主事としい名前は、この拂下げのために便宜上私がキリスト教社会事業連盟から許された名前でございます。
利益金の分配を受ける慈善團体は社会事業連盟を通過せよとか、或いは配分計画には公営事業を参画させよとか、こういつたものです。
日本キリスト教社会事業連盟ですか。
話が纏まりましたその後間もなく社会事業連盟の仕事は愛兒の家建設ということで、それで先程申しました分前の話であります。その当時の日本キリスト教社会事業連盟と私共と二つだけだつたのです。
この事件につきましては、厚生省が関係いたしましたのは中途からでございまして、最初からの経過を私共のところに出ておりまする報告によりまして見ますると、昭和二十二年の初めに日本キリスト教團社会部というものが兒童援護事業として「愛の家」の建設ということを考えまして、全日本キリスト教社会事業連盟というものと協力いたしまして、これが実現の企図をいたして、その建設資金をいろいろと考慮いたしておつたということがあつたそうでございます
社会事業協会は明治四十一年の十月に創立されたのでございまして、從來中央社会事業協会というふうに称せられておつたのでございますが、終戰後日本社会事業連盟と申しまする私設團体の連合体があつたのでございますが、その日本社会事業連盟と合体いたしまして、二十二年の四月に日本社会事業協会というふうに改組いたしたわけでございます。
そうしますと各種の團体、たとえば同胞援護会でありますとか、社会事業連盟でありますとか、あるいはそのほかの宗教團体、あるいは青年團体、婦人團体、そういう方々と懇談を重ねたのでありますが、非常に同情ある賛成的な意見が多うございまして、それならひとつ民間運動としてやろう、もともとこういう助け合い運動のようなものは官製の運動になつてはいかぬ、民間運動としてやろう、一切の企画、一切の実施項目等については自分たちが